日本語の奥深さを村上春樹作品翻訳家から学ぶ~「すみません」と「ありがとう」~
先日、村上春樹作品を数多く翻訳しているジェイ・ルービン氏が来日しており、お話をお伺いする機会がありました。ジェイ・ルービン氏は著名な日本文学研究者で、夏目漱石や芥川龍之介、とくに村上春樹作品の翻訳家として世界的に知られています。
ジェイ・ルービン氏は、「日本語のとても簡単な表現も、英語との感覚が違いすぎて訳すのが難しい」と話されていて、 「日本語の“ありがとう”を、”Thank you”と簡単に訳せない。“ありがとう”と”Thank you”の間には大きな表現の違いがある」とも教えてくれました。
私たちは幼少期に自然に習得する言語=母語(母語と母国語の違いについては今度改めてお話しますね)として日本語を使っています。言葉の意味や使い方については学校の国語の時間に習うわけですが、実は日常生活で得る情報の方が多いと感じます。
ということは、言葉が持つ意味は脈々と受け継がれているその国の文化や習慣から大きな影響を受けるような気がします。日本は昔から“謙遜が美徳”とされ、人生の先輩たちを敬い、とても控えめな文化。「ものをはっきり伝えた方がいい」と言われるようになったのは最近のことのように思います。
その影響からか、日本人は、相手が自分のために何かしてくれた時、「すみません」と伝える光景をよく見かけます。「ありがとう」と伝えるべきタイミングなのに、なぜか無意識に「すみません」を使ってしまうのです。あと、時々気になるのがお手土産を渡す時に「つまらないものですが」と言って渡す人。よく考えると「つまらないものなら、他の物を持ってきて」と突っ込まれそうなフレーズです。
この「つまらないものですが」には「私には見る目がないのであなたのお眼鏡にかなうかどうか分かりませんが」という“謙遜”の気持ちが含まれているのかもしれませんが、私は「最近食べて美味しいと思ったので」とか「この前見かけた時に可愛いと思ったので」と、どうしてそのアイテムをプレゼントしようとしたのか、自分の気持ちを言葉で添えて渡します。
冒頭のジェイ・ルービン氏が教えてくれた「“ありがとう”と”Thank you”の間には大きな表現の違いがある」というお話は、“ありがとう”という短いフレーズの中に、奥深い背景が宿っていることを教えてくれました。“ありがとう”は「有り難い」が派生した言葉だそうです。言葉の由来などを知ると毎日使う言葉使いに意識が向くようになるかもしれません。皆さんも改めて母語=日本語について学んでみてはいかがでしょうか。